行いが人の為に サロンは中止です

お昼休憩も一人で過ごすようにしています。

役所の食堂に質素な弁当を持ち込ませて頂いて、納豆と味噌汁を注文し窓に向かって心静かに空を見上げて過ごします。

 

今日は、ききみみサロンの開催日。

当分の間、活動は中止とします。

 

最近は台所に立つ事も減りました。

16日より春土用入り、昨夜は娘が作った肉じゃがに、セリと蕗の薹の天ぷらを私が揚げました。

口に入れながら、皆の顔が浮かび、天ぷらを揚げてあげたいなあと思わず口に出しました。

 

みんな、ご飯づくり大変でしょう。

予算を気にしなければ、毎晩テイクアウト巡りしても良いけれど、ふつうの家庭はそんな訳にはいきません。

少しだけ子ども達だけ預かりたい・・とか、ふと頭を過ります。

まだまだ意識が低いです。

 

がんばろう。

きっと私たちの我慢が、自分たちの皆の日本の為になるのだから。

 

仕事の仕方も工夫しています。

こうして、サロンを休んで一日空いた日があります。

 

見直す時。

如何にシンプルに生きるか。

如何にシンプルに仕事をするか。

 

見直した事で、今までの無駄が見えてきます。

このトキを受けとめて、豊かな感性を磨きたい。

 

いつでも何でも言ってきてください。

何か出来る事がある筈だから。

 

2020.04 虹始見(にじはじめてあらわる)


しあわせに近づく

 

幸せに近づく茶話会を時々開催してるが、幸せを感じる生き方に乗る為にはコツがある。(笑)

そのコツをハッキリと口に出す事を今まで躊躇していた。

だが昨日、神社で春分を迎え、降り注ぐ陰陽のバランスのとれた陽を浴びていたら、身体の外も内も巡る気で込上げてくるものがあった。

そして伝えたいと素直に思う事が出来た。

そもそも、運の良い生き方とは人から押し付けられる様な強引なものではない。

 

だから安心して入り口に触れる様な縁を結ばせて頂こうと空を見上げた。

2020 春分 雀始巣


身を任せてご縁がすべて

先月2月のサロンは悩んだ末に中止と公開した。

実は諦め切れない思いがあり、この日まで辛い気持ちを伝えてくださっていた数人をお招きした。

 

中止によって諦めてくださった中には、どうしようもない切ない思いを抱えていた方がいらしたのかもと思うと申し訳ない。

もし、話を聴いて欲しい、子どもを遊ばせたいと思われたら連絡を頂けたらと思っている。

 

クローズドとなった2月のサロンも含めて、ここ数日皆さんをお迎えして「救われた」といったメールを頂くと陰陽だなぁと思う。

世事に任せ、責めず、排除せず、阿保のように直感に任せる。

繰り返しだが、門を開いてここに居たいと思う。

枠もなく囚われず自由な所。何故かと言えばあなたの実家だから。

3月19日 中野傾聴ボランティアきくぞうの話してすっきり(野方区民活動センター)もご利用ください。

 有難うございます。

2020.0308 啓蟄


子どもたちは皆な孫です(^^

今日もママの癒しデーが終わりました。

私は、皆さんが帰られた後、西日の当たる居間でしばらくぼんやりとするのが好きです。

この家にありがとうを伝えながら、皆さんが残していかれた温かなぬくもりを感じている。

 

今日は4歳の女の子と塩水に漬けたリンゴを丁寧にひとかけらづつ拭きながら

お皿に並べた。

うっかり水をひっくり返して二人の足もずぶぬれで、

テーブルの水がポタポタと床に落ちて、雨だ雨だと大笑い。

バスタオルを持ってきて何もかも一緒に拭き取って、また二人でケラケラ笑った。

こんな些細な出来事が、子供たちのどこかに残ればよいなぁと欲張りな思いがひょっと顔を見せる。

いや、私の細胞にこの子たちの笑顔や泣き顔が残っていく。

こんな嬉しい思いをさせてくれてありがとう。

2020.02.17 土の小潤い起こる


2020 ここに居ります(^^

絶え間なく流れる多くの活動情報を拝見しながら、これからのききみみ頭巾を考える師走。

三が日明けに話をしたいという方々が、数組お出でになった。

暮れであろうが新年であろうが、行き詰まる想いに休みはない。

気軽に、近所の親しい叔母さんの家に上がり込む感じで来て欲しい。

話が終わらず、気付けばお昼がまわっていれば、簡単なお昼ご飯だって用意が出来るし何も気遣いはいらない。

 

1月3日に古い友人が突然訪問してくれた。実に嬉しかった。

勿論会えた事も嬉しいのだが、来てくださった事に感動した。

「さぞ迷われたでしょう。連絡をしてから行くか・・いや、してしまえば迎える準備をさせてしまう・・いや、突然行くのは失礼ではないか・・。そうだったのでしょう。」そう言ったら、

「出かける前に2度コートを脱いだ」と言われた。

 

苦労人である友人と時の流れを感じながら、苦労を競い合ったあの頃を思い出し笑う。

「どうにかなる」還暦を過ぎた私たちの結論。

そして、2度と戻りたくない・・と又笑う。

よい正月だった。


痛みの分かって貰える所

2周年ありがとうの会は秋刀魚の炭火焼きで皆さんをお迎えした。
いつもの仲間たちとの打ち合わせは談笑やら感動やらの話が中心で肝心な決め事はそこそこに笑顔で別れた10月。
誰も雨が降ったらどうしよう・・とか言わない。
秋刀魚の漁獲高が減っているけど何とかなるかな?で終了した。このわたくしも。
そして当日を迎えてみれば
秋刀魚は11月に入って大いに店先を賑わせていたし庭での食事タイムは小春日和でポカポカだった。
悩まないのは、準備不足という事実を生むのだけれど穏やかな結果ともなり得る。
そして当日の温かなお天気に、
良かったなぁ、うれしいなぁ、有り難いなぁと涙ぐむ仲間もいる。まったく不思議な仲間たちである。
この不思議な笑いの絶えない仲間と既に親族の様な関係となった参加者が、このききみみ頭巾を作ってくれた。
毎月、新規の方が勇気を持って訪れてくれて
次に会う時には畳で寛いでくださる姿に私たちが勇気をもらっている。
これまで385名が訪れてくれた。すごい事だと私が一番驚いている。
人は必ず関わり合う。
思いや経験が違うのだから違和感があっても当然。
相手の心地良いところも不快に感じるところも、ひっくるめて全体像をみる自分が出来ると良いなと思う。
うちへおいでを利用して
人とのかかわり方を経験してみて欲しい。
実は、そういう私は関わりが得意ではない。
度々言うが、私はききみみサロンの様な場所へ参加できない人間だ。
気を遣うくらいなら、人寂しくても一人が楽だと思う。
けれど、その昔、困難な状況にあった時に話を聴いて貰いたくなった経験がある。
こんな状況だけれど、こんなに前向きに頑張っている。
誰かに褒めて貰いたかった。
堪らずに、ある人へ連絡を取ったが、全く受け入れて貰えなく
その当時飼っていた犬に抱きついて大泣きをした。
良い歳をして亡き母を恋しく思った。
だから、
何の躊躇もなく飛び込んで来られる”あなたの居場所”を
何処かに作って欲しいと心から願っている。
あなたは可哀想な人ではないけれど、あなたの痛みを私の痛みとして受け留めたい。
そんな”あなたの実家”の様な場所を静かに続けていこうと思う。
2019.11.17 金盞花咲く

奇跡は無限に

10月のサロンは偶然にも大人たちだけの会となった。

勿論そんな意図はなく、そうなった訳だが。

そう、毎回何の企画も思惑もない。そういう居場所にしたいのだから当然だが。

 

そしてプライベートで恐縮だが、私にとって忘れられないサロンでもあった。

2011年から愛用している和歴日々是好日手帳の著者である和文化研究家の高月先生が、ききみみサロンに参加くださったのだ。

正直に言えば、かなり興奮気味だったが通常通りのサロンを見て頂けたし体感してくださった。

 2011年の年明けに私の意識は転機を迎えた。

その年の3月に言わずもがな震災となるのだが、その事で更に覚悟を持って変わろうと決意した。

私の覚悟とは、月と共に季節を愛し宇宙の波動と共に生きる事の出来る人になる。という事だった。

 

そして、和歴日々是好日に出会った。

高月先生に憧れて、仕事帰りに先生の出演するトークイベントに参加した。

まだまだ、私の意識もよちよち歩きの頃だ。

 

我が家で、高月さんのお話に耳を傾けながら、この状況は信じがたく胸が熱くなり、あの時の自分へ報告したい気持ちで溢れた。

宇宙を信じ私たちの持つ潜在能力を信じて丁寧に生きる生き方は、私にとって間違いはなかった。

 

人生は満更でもない。これは当時記していたブログのタイトルの一部だが、

この幸福を知った私の出来る事を

また今も今も続けていきたいと空を見上げる。

2019.10月26日 霜始降


タイサンボクの花に守られて

たいさんぼくのはな
泰山木の花
卯月二十三日(5/27)
第23侯紅花盛んに咲く。ママの癒しデーも終了。
ホッとして、見上げれば泰山木の花が膨らみ始めた。
この家に越して来て間もなく、
植木職人さんが
「この大木には立派な白い花が咲くが、天辺を向いて咲くから平屋の家じゃ見られないな」と言われた。
そして、6月に入る頃
ふと見れば、頭の高さにある一番下の枝に、それは見事な泰山木の花が開いていた。
甘い品の良い香りのする手のひらよりも大きな純白の花だった。
花言葉は前途洋々。
再出発をかけて、ここへ来た私たちへのエールに涙が溢れた。
そして5年の月日が経ち、その後は下の枝に蕾は無い。
見上げて見上げて、空にまっすぐ開く純白の花が眩しい。
今の私たちには、これが良い。
遠く見上げる大輪の花たちが
大切に思える。

個別傾聴について

【個別傾聴の開催日時について】

ご要望が増えて来ましたので、

平日17:00以降(中野駅周辺店舗にて)・土曜日(ききみみ頭巾にて)

 個別傾聴を承ります。

ご希望日を2.3候補あげてご連絡ください。

 

 

 誰もが愛される存在だと知っている私が、あなたの心に耳を傾けます。

自分でも気付いていない心の内を知るかも知れません。

 

傾聴時間 理想とされている50分

費用   2000円/1回(ご相談可能)

場所   ききみみ頭巾 中野区丸山2-1-6

*出張可 

 申し込みはこちらから(連絡先とききみみ頭巾の日と記入ください)


心が勝手に

和歴新年に向けて

たいそう手を抜いて、のんびり行こうじゃないかという思いで

サボっているとブログに書いていたが、

何と暮れから新年明けて10日間、インフルエンザで寝込んでしまう。

 

私はこの10日間、

たいそうメンタルが弱ってしまい、

高熱とか身体が痛むと言う一般的なインフルの症状ではなく

非常に後ろ向きに、何もかもが嫌になり、自信を失い、恐怖心が私を占拠したかの様だった。

 

そして、

昔は、いつもこうだった・・としっかり思い出した。

 

 

きっとこれも意味のある事だと思いながら

頭がぐるぐると後ろ向きの活字でいっぱいになる。

 

そう、いつかは終わる。

 どんな形にしても、全てのモノは必ず終わるのだからと言い聞かせる。

「怖がることはないよ」と

私は私の肩をトントンと叩いてみたりした。

 

復活した今となっては笑い話の様だが、

今も尚、同じような状況の方々がいらっしゃることを知っている。

 

何も出来ないけれど寄り添いたい。

いつかは終わると伝え続けたい。


色の違う師匠から

今年の三が日は、

新年の挨拶もせず、イベント告知もせず、掃除もせず。

つまり多いに怠惰であって良かろうと、大腕を振ってサボった。

 

月信仰の私の中では、、やはり切り替わるのは旧暦の流れになるのだが、

今月は、意識をしていたゼロに戻る還暦を迎えるので、

新月2月5日の新年を大切に迎えたいと思っている。

そして、きっと肝になる年になると確信して丁寧にトキを重ねようと思う。

 

さて、人生の師匠に今年も早々に会って来た。

歳を重ねて益々美しく堂々とした姿は手本である。

 

昔から、会う度に私の発する言葉は全否定される。

「そういう言い方はしない」「そうじゃないの」「貴方がいけない」

この三語が主な返しであった。

 

それでも、師匠と思い通っているのは、知識の宝庫である彼女のブレない生き方を尊敬しているから。

生まれ持った価値観や感性が私とは色の違う方である。

だから私には必要なのだと思うのだ。

 

それが、今年は初めて否定のない会話が続いた。

80歳半ばを過ぎた師匠の中に変化があったのか、

私が若干成長したのか定かではないけれど

意気投合した宇宙観の話題は楽しかった。

 

カバラを再確認して

私の新年を迎える準備は着々と進んでいる

2019.01.06


私の頭の外で

吉祥寺から見える富士山
吉祥寺から見える富士山

最後のお客様がお帰りになり

しばらく、この居間で満たされた自分を感じながら静かにトキを過ごす。

感謝の余韻に浸るこのトキに私は私へ言い聞かせる。

 

何も不安はないでしょう・・と。

 

少々脂っこかった肉じゃがであっても

掃除の行き届かない部屋があっても

 

数々の心細さを生む要因など何の問題もない。

その事を私は知っている。

 

始まってしまえば、

そんな不安や計算的な意識など、どこかへ飛んで消えてしまう。

ただただ、此処へ集ってくださった方々が愛おしく・・。

その気持ちだけが残り、

私の意識は、私から外れて、私は勝手に動き回る。

 

ききみみ頭巾は、
繋がる為の場所だけでは無くて
繋がっている、まだ出会っていない人々の出会いの場でもあると常々感じていたが、
今日はいくつも、そんな場面を味わい驚きと感激があった。
でも、とにかく何でもよい。
こんな風に、あ~だのこ~だのと書いていると
いつも最後はここに落ち着く。
何でも良いと。爆  笑
あそことあそこが出会って・・など
私がとやかく介入する事では無い。と思ってしまう。
全ては天にお任せする。星空
ただ、実家の様な場所を提供すれば良い。
それだけなのだと、心底思える新月の日だった。

そのままの自分で良いさ。

瞑想の時間を増やしたいと思っている。

そんなトキを過ごせる様になったのは、歳を重ねたからだろう。

 

かと言って

決してうまく瞑想が出来る訳でない。

集中は度々途絶え、全くもって続きはしない。

 

けれど

それで良いと思っている。

無の境地に成りたいのではなくて、

ザワザワとしている私を眺めたいのだ。

 

理想を求めるのでなく今の私を眺める。

戒めず褒めず、ただただ眺める。

 

ザワザワとした想いをすぐ言葉で放出せずに

眺めるのは、おもしろい。

 

 

2018.10.30(火)


一年を皆で喜ぶ

一周年お祝いの花が届きました。有難うございます。
一周年お祝いの花が届きました。有難うございます。

一周年ありがとうの会が終わりました。

総勢25名が集い、お庭で炭焼き秋刀魚を召し上がって頂きました。

 

昨年6月にききみみ頭巾を始動しましたが、

中野区社会福祉協議会の事業”まちなかサロン”を活用して

身近に出会う皆さんに、まずは喜んで頂ける場所づくりを始めました。

そして、

ママの癒し隊MITTY'Sと出会ったのも、その決意と同時でした。

そして、

MITTY'Sの力をお借りして一緒に居場所づくりをしたいと思ったのも直観でした。

 

あっという間に話は決まり

こうして2つのサロンが10月から開催されました。

どんな些細なことを一つ取っても、全てが揃っていて整っていて、

私を困らせる事などありませんでした。

 

誰が凄いとか何が素晴らしいからとか、そんな事では無い気がします。

いや、私の周りに集まってくださった方々やモノたちが素晴らしすぎて、言葉にして褒めるのは違っている気がするのです。

 

ききみみサロンは、自分の心地よい過ごし方や心地よいと感じる考え方を探して頂く場所として提供したいと思っています。

周りの人達を気にせずに過ごすことが大切なのです。

 

その為には、その事を深く理解できるスタッフが居なければなりません。

ききみみスタッフは、募集をかけたり声をかけたりしたメンバーではありません。

気付けば、私と同じ思いで私の横にいてくれました。

 

これからも”ききみみ頭巾”は、目の前にある縁した全てに心寄り添い、丁寧に触れていきたいと思っています。

誰もが愛される存在だと気づいて頂く為に。

 

一周年ご協力くださった皆さま

野方商店街 魚正(うおまさ)野方5-18

ひなさく堂 http://www.hinasakudo.com/

野方区民活動センター アウトリーチチーム

日本礼道小笠原流煎茶  師範教授 内海峨弓様

ママの癒し隊MITTY'S https://mittys.jimdo.com/

 


全てが過去 今に手を合わせる

利用者の声から開催したプール夏の会2018
利用者の声から開催したプール夏の会2018

立秋も過ぎた。

9日は東大寺二月堂ではおよく(お浴)が行われる。功徳に浴するという意だが、万燈明も行われている筈だからさぞ美しいことだろう。

私が頂いている功徳の御礼参りに一度行ってみたい。

 

さて、まちなかサロン・ママの癒しデーを始めて、10月で1年になる。

 

先日、一年前に”こんな事を始めたい”と説明に伺った方とお話をした。

そこで、その方は私が当時のままだと思っていらっしゃる訳だから、現在の私の意識と食い違った会話になった。

当然、先方は現在との食い違いなど気付く筈もなく、真摯に思いを込めて話をしてくださった。

 

私はと言えば、残念なことに無意識に当時に戻り、取り繕う様な会話となってしまったが。

 

しかし、この出来事は、今の私に重要な気付きとなった。

 

おそらく当時は、縁もない土地で始めようとする私の形相は引きつり体裁を整えて力が入ったに違いない。

 

開始して間もなく、サロンの利用者の声や辛い筈の想いを横に置いて笑顔を見せる人々の姿と接したお陰で、いろんな体裁が吹っ切りれた。

私に出来る事をきちんとやる。それだけで良いという境地に至った。

 

それと同時に、心機一転の生活基盤も整い、それが叶う生活となった。

 

折につけて何度も言うが、自分は波乱万丈な経験をし、その痛みと同時に救われる出来事が分かりやすく起きている。

その誰もが守られているという確信は、生きる柱となる所だが、

その波乱万丈の経験もすべて過去。

今でさえ過去な訳だが、まだまだその過去に執着している自分を感じる事が出来た。

 

年が明けると還暦を迎える。

数年前から意識をしていた還暦だ。

 

感謝の毎日を送りたい。

これはその頃から、仏前や神前での祈りだった。

 

見事に叶っている一秒一秒を精一杯過ごしたい。

誰もが愛される存在だと気付く場所を提供し続けたい。

 

2018.0808(水)

 


ママの癒し隊ミッティーズとのコラボサロン

【ママの癒しデー】終了です。

 

今朝は

鉢の睡蓮も開き

そして泰山木は、手の届く枝に花をつけてくれました。

それだけで、準備万端の気分です。

 

 

サロンの雰囲気が伝われば…

アメブロ更新しました。

 

次回は、6月25日(月)です。


 3月3日は桃の節句でした。

ききみみ頭巾では、お雛様を旧暦の桃の節句まで飾ります。

 

 写真のお雛様は、凡そ100年前の雛飾り。

幼い頃に叔母の家で眺めていたものです。

 

その為か、大人になってからもお雛様に対する思いがずっとありました。ですから、よく骨董市に通ったものです。

 

このお雛様に再会した時の話にはドラマがあります。この話は、また次回で。

10日のききみみサロンでは、この重箱に雛あられを入れて振る舞いました。

 子ども達は、小さな重箱を抱えて雛あられに夢中。初めて食べるお子さまも多かったようです。

 

この幸せ感の積み重ねが、きっと大人になって”ほんわか”とした記憶になるんだろうなと思います。

 

昔のものが沢山あって、不便だったり面倒だったり、更に危なかったりする家ですが、私たちがホッと出来る日本の家です。

 

10日のお昼ごはんは、とり牛蒡とひじきの煮物、ほうれん草胡麻和えでした。

食欲旺盛の参加者でした。幸せ!

2018.0310(土)

 


サロンで息抜きを

私の子育て時代とはすっかり変わり、

夫婦共に仕事を持つのが当たり前となりました。

 

 

しかし子育てが楽になった訳ではありません。

 

 

専業主婦であろうと仕事を持っていようと

子どもを持つことで生活は一変し

絶えず迫られている感覚の毎日になります。

 

いずれにしても

閉鎖的になりがちな子育てですが、

出きればオープンであって欲しいと思います。

 

絶対にこうしなければならない・・と思いがちな事も

オープンになる事で力が抜けます。

深呼吸も出来ます。

 

そんな場づくりを目的にサロンを開催しています。

 

否定しない、されない場所。

誰でも愛される存在だと気付ける場所で

ひと時を過ごしてください。

2018.0101

写真は、ききみみ頭巾の玄関に飾られたお多福さん。

ちょっと怖いかしら?

 


サロンは、みんなが作ってくれる。

縁側に座るお子さん
落葉拾いの後は縁側でひと休み。

今年のききみみサロンも多くの利用者さまにお越し頂きました。

 

臨月で初参加をくださった方は、

何と今月産まれて間もないお子さんを連れて来てくださって、

スタッフ一同感動した。

 

こうして、安心して来れる場所。

その事が、とても大切。

 

利用者さんが、こんな風に仰ってくださった。

『玄関で靴を脱いで上がった途端、子どもを抱いてくださったんです。

ずっと二人で過ごしていたから、驚いたし嬉しかった。』

 

私たちスタッフも

数十年前に孤独の子育てを経験している。

けれど、みなさんの話に耳を傾ける度に、想像以上の孤独の中で

それでも何とか毎日を過ごしている様子が目に浮かぶ。

 

『さあ、ゆっくりして行きなさい。』

『後ろの茶箪笥開けるとお菓子が入っているから出してくれる』

と、本心から出る言葉は母そのものとなっていて、

みんなで笑いが起きた。

 

小難しい子育て論を伝えるのではなくて、

ただただ、実家のように寛いでくれたら良い。

 

そして

そこで出てくるみんなの会話の中には

実践そのものの子育て論が詰まっている。

 

2017年12月4日


なぜ私がこんな思いばかりするのか?

私が何か悪いことをしたと言うの?

そんな話をお聴きした。

 

私は、どんな自分でいたいのか。

夫が望んでいる妻でありたいのか。

子どもが求める母でありたいのか。

犠牲的に生きることこそが、良い妻や母なのだと思っているかも知れない。

 

ストレスを抑えながら流される毎日なんだけど

勇気を出して考えてみる。

そう、不満を感じる夫や子どもの事を考えるのではなくて、自分の事を。

 

誰も自分が求めるようには労ってくれない。

だけど、それは特別に不幸なことでなく...

当たり前のことでもあり、

 

ならば、

誰が労ってくれるのかと言えば

それは紛れもなく自分自身なのだ。

 

その事を覚悟して生きていく。

だからと言って、家族に対するあなたの愛情が薄まることはない。

そんな薄っぺらな愛情ではないのだから。

 

やはり、あなたは家族のために頑張る”あなた”なのです。

2017年9月22日

 

幸せに近くお話会を開催します。少人数であなたの想いを話してみましょう。

10月10日(火)10時30分から12時まで

ききみみ頭巾にて

申し込みはこちらから

又はmail kikimimi358@gmail.com


 

だどりついた生活は、イメージが現実化したものだと気づく。

そう、まるで例の成功哲学書の様に。

 

私は、全てを失った時でさえ、
幸せを疑わず、寧ろ次のチャンスがやって来たと期待した。 
それは、
決してギトギトした野心ではなく、ごく自然なイメージで。
 

夢の実現へと進む、
私の行動は何一つ戦略も計画性もない。
それでも、
私の真ん中にあるモノはブレる事を知らない。

逆らわず、トキに乗っていきたい。

感謝

2017年9月20日 新月


母はわが子へ

不動の信頼を持つことが出来る。

 

誰が何と言おうと

何があろうと

身体の底から信頼する力を持ち合わせているのだ。

 

だから

私はその力になりたい。

私の身から産まれて来ようと来るまいと

 

母にはなれない事は知っている。

それでもほんの僅かの信じる力を持ちたいのです。

 

2016年10月31日 21時36分03秒


優しく生きる

それだけ。

 2016年6月3日14:33


本当は、枠にはめられて生きていきたくないけれど、

どこで生きていても枠はある。

 

せめて途轍もない大きな枠でのびのび生きていきたい。

全てに善いも悪いもないのだから。

2016年5月25日17:31