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柔だね

人さまに要らぬ気を遣わないと心に決めてから10年が経ちその訓練を手助けしてくれる様な環境が用意された。そのお陰で随分とマイペースで生きてこられている瞬間が増えた。

先日、僅かな不調を感じただけで気弱になり繊細な想いが押し寄せた。
その想いが更に身体に影響を及ぼす。
この癖は、きっと今に始まったことではない。
子供の頃不安がいつもあった。いつも身体の細部に神経を集中させていたかも知れない。

病弱という訳では無いので、誰も気付かない壊れそうな儚い自分。
幼いから分析など出来る筈も無く、駄目な自分を抱えるだけであった。

 

さて、今回の不安定な身体の状態は、遠慮なく仕事を早退して家族に気遣い無く眠り続けた。


翌日、まだ芳しくない身体に注力し過ぎている自分をなだめ、
病気でないにも関らず不安な身体を戻す手段を考える。

私が心地よく感じるのは空、土、植物・・・ならばそれである。

 

 

庭に出る。暫く目を閉じる。
土に降りる。
草に目をやり葉を摘む。
また、縁側に座り、空を見上げ、目を閉じる。
深い呼吸を繰り返す。天から降り注ぐ気を想像して身体中に廻らせてみる。
随分と長い時間そうして過ごした。

 

ここで役に立ったのは、周りを気にせずに自分に没頭出来るようになったことだった。
自分に没頭する行為は、人によっては我侭に思うし、
自分を俯瞰して「何しているの?」と冷やかな言葉を放つこともある。
こういう面倒な人間もいるのだ。

 

さて、数時間、庭で過ごして体調が戻った。
「柔だね。でも大丈夫。がんばっているよ」
柔を認める。でも神経質にならず、大丈夫と伝えてあげる。
私の身体が喜ぶことを。

身体にも人にもすべてに必要なのは優しさ。